チェンバロ奏者 八百板正己 のホームページ

チェンバロ日誌(2006年1月)

チェンバロ日誌
1月5日(木)
 遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。 今年の干支はイヌですので、いただく年賀状には愛犬の写真を使ったものが多いですね。 ご夫婦でバッハ愛好家でいらっしゃる知人からの年賀状に顔面アップで写っていた愛犬の写真には「Sebastian」の文字が。 尊敬する作曲家の名を10人以下には絞れない私がもし犬を飼うとなったら、 落語の「寿限無」さながらの長ーい名前になってしまうのでしょうね。
1月14日(土)
 昨日は2月5日の新潟オルガン研究会の演奏会のための練習に花園カトリック教会に行ってきました。 ここのオルガンは(詳細は新潟オルガン研究会のホームページにあります)小さいながらもすばらしいもので、 鍵盤を押してからパイプに空気を送り込むまでの仕組みがバロック時代と同様に「てこ」などで機械的につながっているのです(「機械式アクション」といいます)。 近年は有名なホールの巨大オルガンも含めて安価で調整が不要の電気式アクションが多用されていますが、 鍵盤を単なる電気のオンオフスイッチとみなすそのような方式では不可能な多彩な表現力をこの「機械式アクション」は備えています。 つまり、パイプに空気を送る弁の開閉速度をを指先でコントロールすることで、 管楽器のタンギングに相当する発音時の摩擦音を「硬め」「やわらかめ」と制御できるのです。 また機械式では電磁弁の動作よりも素早く指先の敏捷さで弁を操作することができるので、 非常に早い音符も明瞭に演奏できます。 逆に電気式は電磁弁のはたらきで弁の開く早さが「不変である」どころか「経年変化によるばらつきが生じる」という厄介な代物ですから、 演奏者の意図と無関係にタンギングの強さや発音のタイミングすら不揃いになってしまうのです。 それでも各地の大オルガン(りゅーとぴあのものは機械式です)が電気式で許されているのは、 大ホールという環境ではタンギングなどの繊細な表現がそれほど気にならないこと、 それに気づかせないようにやたらと多くのパイプを使って大音量で弾いてごまかすことが多いことなどによります。 そもそも本当にいいオルガンとは、小数の限られたパイプを使うだけで2時間のコンサートを飽きずに聴き通せるはずのものです。
 私がソロで弾くことになったダングルベールのフーガは、 およそ普通のオルガン曲では考えられないくらい大量の装飾音符で埋め尽くされています。 これを明瞭に弾くにはどうしても機械式アクションが必要で、 ぜひともこの教会のこのオルガンで弾きたいと狙っていた曲の一つでもあるのです。 この時代のフランスのオルガン音楽に求められるものは複雑で、 フランス人が生来持つ軽さ、 ルイ王朝の威厳と気品、 カトリック教会の神秘性、 フランス宮廷舞曲のリズム感、 といったものを同時に表現しなければいけません。 それを収容人数100人未満の教会でちゃんと聴かせるには機械式アクションは必須なのです。
1月23日(月)
 演奏会のほとんど無い冬の間を利用して、 現在2つのプロジェクトが進行中です。 今日はその1つ目、「鳥の羽プロジェクト」についてお話ししましょう。
 埼玉在住のチェンバロ製作家の久保田彰氏から購入した楽器を私は2台所有していますが、 弦をはじく爪がプラスチックだったものを、 ヴァージナルは2年ほど前に昔ながらの鳥の羽に交換してありました。 スコブロネック製の2段チェンバロは始めから鳥の羽でした。 今回は残る一台の久保田製2段チェンバロの爪を鳥の羽に交換しようというものです。
 そもそもなぜ手間をかけてそのようなことをするのか、 スコブロネック製2段チェンバロの紹介ページに書いたことをそのまま引用します。
------------------(引用ここから)------------------
 この楽器の爪は現代の代用品のプラスチックではなく、昔ながらの鳥の羽の軸です。 寿命も短いですし、第一プラスチックのように厚さの一定した規格品が既に大体の大きさに切断されて供給されるわけでなく、 いちいち自分で削り出さなくてはなりません。 そして、楽器に適当な種類と大きさの鳥の羽を入手するのもなかなか大変で、 かなり太目の羽の軸、それも空を飛ぶ鳥の羽でないと見かけの割に柔らかかったりして使えません。 また、弾いていると油切れを起こして急に(数分で)ものすごく硬くなって演奏不能になることもよくあるので、 定期的に(数ヶ月に1回)オリーブ油を塗ることも必要です。 (演奏会中など緊急の場合は鼻の脂や耳の脂でも効きますが。) ただし鳥の羽には利点もあります。 音がいいのはもちろんですが、 プラスチックが前触れもなくいきなりポキッと折れるのに対して、 鳥の羽は数日かけて徐々に腰が弱くなっていきますので、 演奏会の前に弱くなり始めたものを交換しておけば本番中に折れる心配から開放されます。
------------------(引用ここまで)------------------
 ヴァージナルは知人経由で県内の畜産試験場かどこかに勤める人から、 何の鳥か分かりませんが小さめの羽をまとめて貰ったのを使いましたが、 2段チェンバロはもっともっと丈夫な大きな羽でないと使えません。 「理想的にはコンドルの羽がいいそうだ」などという情報もありますが、 楽器一台分のそんな大きな羽を自分で集めるのは諦め、 結局イタリアのチェンバロメーカーからワシの羽を20本輸入しました。
 全部で186本の爪のうち、まだ10本足らずを交換したばかりですが、 交換した音だけが実に典雅な響きがします! 鳥の羽の軸から切り出した爪はプラスチックより硬いかわりにずいぶん薄いので (羽の軸はフワフワの中心部を薄くて硬い外周がぐるっと取り巻く、軽くて丈夫な構造ですが、 羽の表側に面した軸が平面かつ滑らかなので、その部分から幅2mm、長さ10mm程度の板材を切り出します)、 はじく際に高周波成分をより多く含むためです。 硬くて薄いのがよいなら金属片でも使えばとお思いでしょうか。 それでは今度は音がきつすぎるそうです。 やはりフランス国王をも納得させた典雅な音は、 ものすごく多くの試行錯誤の末に選ばれた材料が生み出したもので、 そう簡単に代用品が見つかるものではなさそうです。
 硬い羽軸を削っていると愛用の小刀はすぐに切れなくなります。 仕上げに使う医療用メスはすぐに刃を交換しなければなりません。 作業時間の何割かは小刀の刃を研ぐ時間に取られるほどで、 この作業、なかなかはかどりません。
1月24日(火)
 昨日の文章に少し補足です。 現在世の中に出回っているチェンバロのおそらく95%とか99%とか(データは無いので推測ですが)、 とにかく圧倒的な比率でプラスチック製の爪が使われています。 ですから、久保田彰氏が楽器を製作してプラスチック製の爪を使用したからといって、 何ら落ち度があるわけでも非難されるべきでもないことをお断りしておきます。 出来の悪い楽器に鳥の羽を使ったからといって音がよくなるわけではありませんし、 反対に世界的製作家による楽器も多くはプラスチックが使われているにもかかわらず、 他の人に決して真似のできないようなすばらしい音を出す例を私自身いくつも経験しています。
 私は演奏をお客様にお聴かせしてお金をいただく職業人として、 良い音の楽器をさらに可能な限り良くしようとしているのです。 そしてそれは私自身が音に興奮しながら演奏できる幸せを求めてのことでもあります。


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