チェンバロ奏者 八百板正己 のホームページ

チェンバロ日誌(2006年10月)

チェンバロ日誌
10月1日(日)
 メサイアが終わりました。 長岡でプロのオーケストラが出演するメサイア演奏会は14年ぶりとのことで、 その期待もあってでしょうか、 会場の長岡リリックホールには本当に多くのお客様がいらっしゃいました。 今日の公演では「ハレルヤ」でお客様が全員起立して聴いて下さいました! これはヘンデルが存命中に自分で指揮をして演奏したときに、 臨席した国王ジョージII世が曲の偉大さに敬意を表して演奏中に起立したとの故事に基づいて、 今でもイギリスでは受け継がれている習慣なのです。 後で聞いたところでは、 長岡の他の合唱団の方が「ハレルヤを起立して聴きましょう」と書いたプラカードを作って、 開演前に会場でお客様に働きかけていたとのことです。 地域の合唱団どうしでお互いを盛り立てる、何とすてきな関係なのでしょう。
 私は子供のときからメサイアが好きで、 レコード(当時はまだCDはありません)を聴きながら 「この曲を歌う機会はいつかあるだろうか」などと思いながら、 しかしその機会はいまだに得られていません。 チェンバロ演奏を職業としてからこの楽器で演奏にかかわる機会は今回で3回目ですが、 どんなにこの曲を愛していても私一人ではどうにもならず、 地域の合唱団がこうして演奏会で取り上げてくださるからこそ、 私の「メサイア演奏にかかわりたい」との願いがかなうのだとつくづく感じます。
10月7日(土)
 今日、ではなく、もう夜中の1時を過ぎたので昨日のことになりますが、 長岡で月に一回チェンバロ教室をさせていただいている仕立て屋さん「アトリエ金の糸」主催のパーティーに参加して、 アトラクションの一つとしてチェンバロを弾いてきました。 3年間ずっと教室をさせていただいている感謝の気持ちでの友情出演です。 いつもはこういう席ではもっぱら楽師(すなわち裏方)に徹するのですが、 今日はちゃんとパーティー券を購入して皆さんと一緒の席でディナーも楽しみました。 (楽器を積んで帰らないといけないのでワインが飲めなかったのが残念ですが。) 「ドレスアップ・パーティー」と題したこの催しの案内には 「最高に気張ったおしゃれをして、ときめきの一夜を楽しみましょう。」とあり、 (余白には「男性も美しく!」との注意書きも) 私も久しぶりにタキシードを着ました。 チェンバロは普段もっと少人数のお客様を相手に親密な雰囲気で演奏することと、 チェンバロに限らず古楽全般のイメージがいわゆるクラシック演奏家の格調高いイメージとちょっと違っていることもあって、 ここ数年はタキシードはほとんど着ていないのです。
 アトラクションの一つにジャズピアノの演奏もあって、 終わってからその方といろいろお話しすることができました。 鍵盤楽器は他の旋律楽器などと違ってその場に2人以上必要になることがほとんど無いので、 普通に思われているよりずっと同業者どうしの輪が広がりにくいのです。 よい出会いのためには自分からいろいろなところに出て行くのが大切なことですね。
10月19日(木)
 朝晩はずいぶん涼しくなり、家々の庭木もちらほら色付いてきました。 しかし14日に演奏に行った奥只見湖のさらに奥はこんなものではありませんでした! 下界の皆様より一足先に紅葉を楽しんでまいりました。
 関越道小出インターチェンジからかつての湯之谷村(今は小出も一緒になって魚沼市)方面へ東進し、 途中から奥只見シルバーラインに入ります。 名前はすてきな道ですが、たしか奥只見ダムの建設資材運搬用に切り開いた道とかで、ほとんどトンネルの中です。 ながーいトンネルの途中から銀山平に抜ける出口に回り、そこから奥只見湖の湖面に沿った一車線道が始まります。 いやいやこれが長かったことといったら、地図で直線距離ではすぐ目的地のロッジに着きそうなのですが、 普通なら道など作らないような山腹にむりやりへばりつくように道を作ってあるので、 ひたすら急カーブするしひたすらアップダウンはあるし、沢の水が道路を横切って流れているし、 大きな対向車が来れば止まって譲らないといけないし、かなりの時間とガソリンを消費してやっと着きました。
 行くのが困難ということは行く人も少ないということで、そこはまるで下界とは別世界でした。 すでに紅葉はかなりきれいだし、車も通らないのでとても静かだし、 ロッジの裏から湧き出る水はものすごくおいしいし、 こんな所に泊りがけでチェンバロを聴きにいらっしゃるお客様はみないい方々ばかりだし、 夜はまぶしいほどの星空で天の川の輪郭がしっかりスケッチできるくらいはっきり見えるし、 夕方からの演奏タイムはストーブをつけないといけないほど冷えるし。 環境の違いを満喫しながらその日はとても楽しく演奏でき、 食事の後はアンコールアワーとなって(すでに私も酔っていましたが)、 お客様のリクエストに応えて覚えているレパートリーを遅くまで披露ました。 こんなことなら演奏予定にない楽譜も持っていけばよかったです。
 翌朝はあまり寝坊もできずにそのまま新潟市内まで直行です。 旧日銀新潟支店長宅を文化施設として解放している「砂丘館」でのコンサートは昨年にひきつづき2回目です。 蔵を改装したギャラリーで絵に囲まれながらのチェンバロは、 いわゆる一般的なコンサートとはずいぶん違った雰囲気になります。 楽器の演奏には響きが乏しい会場のはずだったのですが、 満席のお客様に音が吸われると思いきや、 残響の細部までよく鳴り響いて驚いてしまいました。 原因のひとつは楽器の爪を鷲の羽に交換したことでしょう。 響きの良くない会場ほど、楽器自体の音の力が大きく影響するようです。 (逆に石造りの教会のように素晴らしく残響があるところなら、 少々難ありの楽器でもかなりいい響きになるでしょうか。) もう一つはお客様の集中度です。 決して緊張していらっしゃる様子ではないのですが、 楽器の響きの細部まで聴こうとする積極的な気持ちからか、 とにかく満席の会場にまったく雑音がないのです。 チェンバロを間近で聴くのはほとんどの方が初めてだということでした。 私もとても幸せな気持ちで演奏できました。 自分の演奏が一音一音その残響に至るまで受け入れられることほど幸せなことはありません。
10月22日(日)
 三日連続の演奏会が終わりました。 この間チェンバロは車に積みっぱなしです。 でもまだ楽器を下ろすことはできません。 明日は新潟市内までチェンバロを運んで、11月11日の演奏会に向けて弦楽器の方々との練習です。 メンバーは遠く東京、群馬、長野から来ていただきます。 私が自分で企画運営する演奏会としては異例の規模で、 もうこんな贅沢は当分できないと思います。 いろいろ苦労も多いですが、 当日すばらしいアンサンブルが鳴り響くことを夢見て張り切っています。 今一度「今後の演奏予定」をご覧いただけるでしょうか。 そこに書いていない楽しい仕掛けもコンサートの中にいろいろご用意してお待ちいたします。 夜の部の公開講座では気さくな片野氏の解説と実演でどんな秘密が明らかにされるのか、 私も今から楽しみです。
10月24日(火)
 11月11日の演奏会はバッハの歌曲がテーマですので、 特に歌が好きな人には直接私からチラシを渡して熱い思いをお伝えしたいと、 各地の合唱団の練習にお邪魔しています。
 今日は見附で第九を10年以上歌っている合唱団の練習にお邪魔したところ、 今をときめくマエストロ船橋洋介氏が直接指導にいらっしゃる日でした。 (今年からは新潟交響楽団の指揮も任されるなど、 彼のすばらしい指揮を知ってくださる方がいっそう増えると思うと嬉しいです。) 休憩前の諸連絡の時間にお邪魔したのですが、 合唱団員の前にいらしたマエストロは私を見ると驚いたような笑顔で近寄り、 光栄なことに握手を求められました。 おお何とカッコイイ!! 日本の社会では握手は一般的ではありませんから、 とっさにこうした行動が出るのは根っからの芸術家である証ですね。 しかしカッコイイだけではありません。 ありがたかったのは並み居る合唱団員の皆様の前で握手を求めてくださったことで、 今日は私が自分の都合で貴重な練習時間にお邪魔したというのに、 マエストロが私を歓迎するお気持ちが伝わってか、 合唱団の皆様からは拍手をいただいてしまいました。 私がこの演奏会にかける熱い思いも皆様よく聞いて下さいましたし、 お配りしたチラシもじっくりと目を通してくださいました。
 優れた音楽は優れた人格から生まれる、と私は信じています。 彼こそは私が直接お付き合いのある中で最も尊敬する指揮者です。
10月27日(金)
 速報です。11月11日の演奏付き公開講座では、 片野氏が最も得意とされる「福音史家」が聴けることになりました! 曲はバッハのヨハネ受難曲からです。 受難曲はキリストの受難の物語を独唱や合唱で綴ったものですが、 そこで物語の進行役を務める福音史家は、 アリアを歌うソロ歌手よりもはるかに重要視される大役なのです。 甘美な旋律を美声で聴かせるアリアとは正反対で、 物語の朗読をそのまま音にしたような音楽(レチタティーヴォ・セッコ) をひたすら語り続けます。 最低限しか鳴らされない低音の上に語りだけで表現するのですから、 その歌詞は母国語なみに完全に自分のものにしていないといけませんし、 歌唱力はもちろんですがむしろ話術も重要になるほど、 普通に歌の勉強をしただけでは務まらない難しい役なのです。 バッハのこの種のレチタティーヴォでは、 言葉の抑揚を音にうまく乗せるだけではなく、 今回の講座のテーマである「修辞学的思考法」が非常に濃厚に反映していて、 単語の意味を強く訴えかけるためにさまざまな弁論術の技法が駆使されているといいます。 伴奏役の私も楽しみになってきました。 私もいくらか時間をもらって、 バッハの鍵盤音楽に修辞学がどのように使われているかを、 昼のコンサートで弾くチェンバロ曲の徹底分析でご紹介します。


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