チェンバロ奏者 八百板正己 のホームページ

チェンバロ日誌(2006年12月)

チェンバロ日誌
12月8日(金)
 今年も群馬県桐生市まで演奏に行ってきました。 昨年は慌しく日帰りでしたが、 今回は当日のゲネプロ(Generalprobe:ドイツ語で「総リハーサル」)の開始時間が早まったので、 前泊して夜のうちに楽器を会場に搬入しました。 おかげで運転疲れも取れ、楽器の調整を現地で念入りに行い、 他のメンバーがまだ来ないうちに個人練習もできたうえで本番をよいコンディションで迎えられました。
 このアンサンブルの代表である風岡氏には今年は私の主催する演奏会に2回出演いただいて(6月11日と11月11日)、 この間にお互いの音楽観がかなり分かり合えたのが昨年との大きな違いです。 昨年12月23日の日誌に書いたような「メモする時間もない忙しいリハーサル」という印象は今年はありませんでした。 「私ならもっと軽く飛ばすのに」と思う曲もありましたが、 それも風岡氏いわく「プロとはいえ日常的にバロック音楽に係わっているとは限らないメンバーを短時間のリハーサルでまとめられるぎりぎりの線」とのこと。 限られた条件の中でメンバー全員の力を引き出せる最善の策を見出すことが大切なのですね。
 私の今回の収穫は、私が出演した3曲9楽章の中で、 いっとき我を忘れて興奮して演奏した瞬間が2つの楽章であったことです。 「たった2つ?」とお思いでしょうか。 その日はじめて参加するアンサンブルでありながら、 自分のパートを正しく弾くとか、他の人の音楽観とずれないように気をつけるとか、 そういったことをすべて忘れて演奏できることというのは、 実はなかなか得られない幸運なのです。 自分の過去を振り返ってみるとアマチュア時代にもアンサンブルでそういう経験をした気もしますが、 今では耳も感性も自分の演奏に対してずっと厳しくなっていますから、 昔よりいい演奏をしたくらいでは興奮などしません。 多くの人の力が結集するアンサンブルは心の交流が生み出すすばらしい感動の可能性を秘めていますが、 逆にその心の方向が合わないために却って散漫になってしまうことが少なくありません。 このアンサンブルの醍醐味は一度味わってしまうとやめられなくなるのですが、 私自身で企画する演奏会では音楽が散漫になるような失敗はしないようにとどうしても人選は慎重になりますから、 今回のようにプロ16人の大規模(?)アンサンブルに参加できるのはチェンバロ奏者にとっては本当に貴重な経験です。
12月19日(火)
 おとといのカーブドッチの演奏会で今シーズンの大きな演奏会は終わりました。 モーツァルト生誕250年に私もチェンバロでモーツァルトを、 と取り上げたのが有名な通称「トルコ行進曲」を第3楽章に含むソナタ・イ長調K331です。 モーツァルト自身は生まれたばかりの初期のピアノでの演奏を第一に考えたようですが、 当時まだまだチェンバロしかもっていない人のほうが多かった時代ですから、 チェンバロで演奏してもまた別の曲としての魅力が出せるように作られています。 耳慣れた名曲をいつもと全く違ったふうにお聞かせしようというついでに、 もう一つネタを仕組みました。 モーツァルトが貴族の館に招かれて自作を披露した、という設定にしてみたのです。 身分の高い人に招待されて自作を披露するのに、 現代のピアノリサイタルのように黙って登場して黙って全曲弾きとおして帰っていくはずがないので、 モーツァルト自身が作品のポイントを喋りながら(時には笑いを取りながら) 演奏を進めていく様子を演じました。 第1楽章の変奏曲では 「次はもっと音符を増やしてみましょう」 「殿方の栄光を讃えて輝かしい音色で」 「ご婦人方のようにエレガントに」 などと進めて、 「最後は4拍子です」 と言って最終変奏を派手に弾き終えると、当然拍手が沸きます。 すかさず「今皆様は歴史的に正しい拍手をなさいました。 当時は楽章ごとに拍手をしていたのです。」と補足します。 第3楽章では左手の分散和音をチェンバロのフル・ストップで乱暴に叩くと、 まさにオスマン・トルコの軍楽隊の太鼓さながらに、とっても野蛮です。 それがアジア人を嘲笑するウィーンの聴衆を喜ばせようというモーツァルトの意図なのでしょう。 「古典派の作品は節度を持って演奏する」などと誰が決めたのか分かりませんが、 チェンバロの音域の端から端まで豪快に使い切っているこれらの曲は、 チェンバロ奏者にとっては節度を持って演奏する穏やかなものとばかりは思えません。 形式美を尊びながらも、やはり人間としての強い感情が存分に込められていることは、 チェンバロ(または当時の狭い音域のフォルテピアノやクラヴィコードでも) で弾くことによって楽器から教えられることです。
12月23日(土)
 新潟県を代表する日本酒の一つである「久保田」などを作っている朝日酒造でチェンバロを弾いてきました。 会場となったエントランスホールは最近完成したばかりの新しい建物の中にあり、 高い天井と石畳の床(ちゃんと床暖房が入っています)で縦にかなり細長く、 非常に響きが豊かでヨーロッパの大教会を思わせます。 途中にスロープや渡り廊下もあり、 上手に使えばルネサンス末期にヴェネチアのサン・マルコ大聖堂で発展した多重合唱にもぴったりの空間です。 演奏会の主催は「長岡市越路地域ふるさと創生基金事業実行委員会」といい、 地域文化の発展を願う活動の一環として、今日の演奏会も入場無料でした。
 入場無料となると小さな子供さんも来てくれます。 そして座高が低いので必ず一番前に座ります。 大人用の椅子は高いので宙に浮いた足はずっとブラブラ揺れっぱなしで、 数人の子供さんの足の長さに応じて異なる周期で揺れ続ける振り子が演奏中も視野の端にしっかり見えます。 私は今まで足を揺らすのは退屈だからなのだと思っていて、 自分の演奏が受け入れられていないと思うと急に焦って調子を崩してしまうのが常でした。 今日も1曲目の1小節目から視野の端に振り子運動が目に入ったので、 どんな顔をして聴いているのかと見ると、それがけっこう真面目な顔です。 今日の一番の発見は、子供は退屈だから足を揺らすのではなく、 足が届かなくて腿の内側が椅子に圧迫されて血の巡りが悪くなるからだろうということです。 そう思うと心理的な焦りは無くなり、心を落ち着けて演奏できます。 それでも曲と全然違うテンポで揺れる振り子が視野の中にあるのは少々やりにくいですが、 「これは足ではなく、時計の振り子か、風に揺れる木の枝だ」と自然現象に見立てるとずいぶん気にならなくなります。 同業者の皆様には今日の私の発見をぜひ生かしていただいて、 これからは小さな子供さんのいる演奏会でもいい気持ちで演奏してくださいね!
 嬉しかったのは、休憩時間に調律をしているときにその子が一番興味深そうに楽器の近くに寄ってきてくれたことです。 また他のお客様も慣れない初めての楽器の初めての音楽にもかかわらず、 楽器と演奏者を信じて最後まで熱心にお聴きくださいました。 思うに、入場無料の演奏会は演奏家にとっては試練かもしれません。 お金を払って聴こうというほどの関心を持つわけではない方々を相手に、 それでも最後は会場全体が一つになって音に集中する非日常の体験が実現できなければ演奏家としては心残りです。 今日は素直な心をお持ちのお客様と、響きのよい会場と、休憩時間に甘酒を振舞ったりしてくださった関係者の方々とに助けられて、 最後の曲ではその非日常の体験が実現できたと思います。
12月26日(火)
 年が明けると、演奏会はめっきり少なくなります。 というよりほとんど無くなってしまいます。 これはどうも雪国独特の現象のようです。 しかしそんな中でも2月に気合の入った企画があります。 「今後の演奏予定」に詳細を書きましたのでご覧ください。


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