チェンバロ奏者 八百板正己 のホームページ

チェンバロ日誌(2007年5月)

チェンバロ日誌
5月4日(金)
 バッハのヴァイオリンソナタを練習しています。 この曲のチェンバロパートは通常のソナタと違って、 右手で弾く旋律が完全に作曲されていて演奏者に即興の余地が無いのが特徴です。 バッハの強い意志で隅々まで規定され尽くしているということです。 10年以上前に一度アマチュアのヴァイオリン弾きと合わせたことがありますが、 今度は元群馬交響楽団コンサートマスターの風岡優氏のお相手で (演奏会は5月31日、高崎市)俄然練習にも熱が入ります。 例によって片手ずつ丁寧に練習していると、 片手の単旋律なのに感動してしまうのです。 そして両手で合わせると興奮してやめられなくなります。 これにヴァイオリンが加わったらいったいどうなってしまうのでしょう? バッハは凄すぎます。
5月8日(火)
 昨日は高崎からヴァイオリンの風岡氏においでいただいて、 ソプラノの桑原さんと三人で田上町の演奏会(5月26日)の合わせをしました。 お二人とも日常的にバロックを演奏しているわけではありませんが、 基礎に支えられた高い適応力のおかげで、 見る見るバロックのサウンドができあがっていきました。 同じ曲でもピアノと合わせるのとチェンバロと合わせるのでは、 テンポも音量も音の減衰の仕方もフレーズの持っていき方も何から何まで変えないといけないのです。
 昨日の練習後に所用ですぐに高崎にお帰りになった風岡氏に、 今日またおいでいただいて、 今度は高崎の演奏会(5月31日)の合わせをしました。 例のバッハのヴァイオリンソナタ ハ短調は初合わせです。 この曲の第2楽章と第4楽章はヴァイオリンとチェンバロが全く同じ旋律を速いテンポでやり取りするので、 チェンバロにとっては何とも弾きにくいヴァイオリン的音型の連続で苦労します。 ところが、風岡氏にとってはその同じ旋律がチェンバロ的で弾きにくいというのです。 同じバッハでも無伴奏ヴァイオリン曲のほうがずっと難しそうに聴こえても、 実際には弾きやすい音を選んで作曲されているのだそうです。 技術的にも音響的にも、この二つの楽器では得意とする音型が全く違うので、 同じ旋律を弾くには互いにぎりぎりのところまで歩み寄る必要があったわけで、 チェンバロもヴァイオリンもすばらしく弾きこなしたバッハだからこそできたことです。
5月10日(木)
 地元の中学校で演奏してきました。 一年生130人を多目的ホールに集めていただいて、 お話を交えて40分の特別授業といった趣です。 チェンバロの演奏を目の前で聴けることがどれだけ稀な体験なのか、 といった実感は生徒さんたちにはほとんど無いようで、 おおむね澄ました表情でしたが、 コンクール用に準備したクープランを最後に10分少々通して弾いたときには、 うまく言葉では表せませんが何か手応えを感じました。
 日本中の中学一年生は総数120万人余だそうで、 私が一回の鑑賞授業で聴いてもらえるのはその一万分の一という計算になりますが、 チェンバロの音を目の前で聴いた経験のある中学生はどれだけいるのでしょうか。 「義務教育の間に広い分野の本物に触れることがその後の成長の糧になる」 というような話を聞いたことがあります。 これからもこのような学校からの演奏依頼には喜んで協力したいです。 といってもなぜか私は学校の先生方とほとんど面識がありませんので、 これをお読みの皆様で、お知り合いに学校の先生がいらっしゃいましたら、 「こんなことを言っているチェンバロ奏者がいるよ」 とよろしくお伝え下さい。

 さて、5月13日のスタジオ3周年コンサートでは、 バッハの「2台のチェンバロのための協奏曲ハ長調」の第1楽章を演奏します。 そのことについて少し書かせて下さい。
 この曲に限らず2台ピアノのコンサートなどでも、 2台の鍵盤楽器のアンサンブルでは楽器を向かい合わせにしてくっつけて (手前の楽器の蓋は邪魔なので外します)、 上から見ると一つの長方形の楽器のように配置して演奏することが多いようです。 客席から見ると2台のチェンバロがちょうど重なって、 その両端に奏者が座っているように見えます。 かく言う私も先日(5月3日、りゅーとぴあスタジオA)同じ曲をそのようにして演奏しました。 理由は、お互いの音がよく聞こえ、かつお互いの顔がよく見えて、 アンサンブルの精度が上がるからです。 精度が上がるというより、こうしないとアンサンブルが不可能と言ったほうが正しいでしょうか。 本当はバッハのこの曲のように短いモチーフの掛け合いがおもしろいものは、 客席から見て左右に楽器を離して配置したほうが断然効果的なのです。 しかし音の強さは距離の2乗に反比例する上に、 チェンバロの音は奏者の方には聞こえてきにくい構造になっているので、 客席から見て左側の楽器の奏者からは、 右側の楽器の音は「全く」聞こえません。 (本当にそうです。自分が休符の時でも遠くでかすかに鳴っていることが感じられるだけです。実験済み。)
 ところが、見附チェンバロスタジオはコンサートをするには少々狭いですがとてもよく響きます。 いつもここでのコンサートは私の3台の所有楽器を壁の3面に配置して、 コの字形になった中に客席を作っています。 チェンバロの音はスタジオ中に満ちるので、 どこで弾いてもお互いの音がよく聞こえますし、 お客様にとってのステレオ効果も抜群です。 バッハのこの曲は2台のチェンバロに弦楽合奏が付けられた楽譜で伝えられましたが(BWV1061)、 近年の研究によれば初めは2台のチェンバロだけのために作られたそうで(BWV1061a)、 さらにはコンサートではなく自室で息子たちと合奏して楽しむために書いたのだろうというのです。
 私は常々、バッハはどのようにステージ上に楽器を配置してこの曲を弾いたのだろうかと気になっていました。 2台のチェンバロを向かい合わせてくっつけてしか演奏できないならば、 掛け合いがおもしろい曲を書くよりは2台の調和が美しい曲を書くはずではないかと。 現代では常識となっている「演奏の場をステージと客席に分離する」という考えを取り払ったところに答があったわけですね。 この曲の一番楽しい聴き方のご提案、 少なくとも議論に一石を投じることにはなると思うのが今度のスタジオでの演奏です。
5月13日(日)
 今日の見附チェンバロスタジオは満席でした。 満席といってもたったの20席ですが。 プログラム前半は私のソロで3台の楽器を順番に紹介する真面目なコーナー。 初めての方も半分弱いらっしゃり、会場のやや硬い雰囲気がなかなかほぐれません(予想の範囲ではありましたが)。 休憩時間には私が調律をしている間に隣室でお茶とお菓子を召し上がっていただきましたが、 お話が達者な方を中心にずいぶん賑やかなお喋りが聞こえていました。 お茶の後のプログラム後半は、 チェンバロ教室受講生を交えての多彩なアンサンブルということもあって、 とても打ち解けた雰囲気です。 何よりも拍手の大きさと長さが全然違います。 「私のソロは生徒さんたちとのアンサンブルよりつまらないのだろうか?」 などとひがんではいけませんね。 プログラムの前半後半を入れ替えれば結果も入れ替わったでしょうから。 リラックスできる休憩時間の威力は絶大です。 最後はオマケに自作自演のアンコール集です。 全部日本の歌のバロック風アレンジですが、 プログラムにはわざと曲名を伏せておいて、 「次は何が出てくるのか」と期待させるようにしました。 (最後まで元歌が分からない方もいらっしゃったかも。) コンサートが終わって、 「お菓子も残っていますし、 時間のある方はチェンバロを触ったりしてご自由にお過ごし下さい」 と促して、またしばらくお喋りタイムが続きました。 私も会場の隣室でやっとお菓子にありついてお客様と話をしていると、 会場からは私が弾いたのとは別の日本の歌による即席のチェンバロ2重奏が聞こえてきたりしました。 (後で知りましたが2重奏をなさったお二人は初対面だったそうで。)
 チェンバロを始めとする「古楽」という分野は、 昔の楽器を復元し、昔の演奏方法を復元することによって、 昔鳴っていた響きを再現することだと言われます。 しかしそれだけでは完全ではないというのが今日の感想です。 今日のような定員20人の小さな場所で、 聴き手全員がお互い全く見ず知らずの他人同士だったらどうでしょう? 休憩時間にも気まずい沈黙が続き、 きっと音楽を楽しむどころではなかったと思います。 音が小さい昔の楽器を、それに見合った小さい空間で楽しむためには、 「気心の知れた仲間たちと一緒に音楽のあるひとときを過ごす」 という昔の演奏環境を取り戻すことも大切でしょう。 新潟県の古楽ファンはまだそんなにたくさんいる訳ではないので、 コンサートともなるとお互いに名前は知らなくても 「確かこのあいだも見かけたような」人に必ず出会います。 今日のような狭い会場でのコンサートがお互いの会話のきっかけになり、 一緒に楽しめる仲間の輪がひろがっていくことのお手伝いになればと願っています。
5月21日(月)
 あんまり天気がいいので、 スタジオから車で5分ほどのところにある「大平森林公園」を散策してきました。 気の早いミンミンゼミの声と一緒にウグイスやクロツグミの美しい声がこだまして、 耳を澄ませば遠くの谷のほうからカッコウの仲間のツツドリの声が その名(筒鳥、筒の先を手のひらで叩いたときの音に鳴き声がそっくり)のごとく 「ポポッ、ポポッ、ポポッ」と聞こえてきます。 標高差100mほどの山ですが、 練習の合間の程よい気分転換でした。


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