チェンバロ奏者 八百板正己 のホームページ

チェンバロ日誌(2007年10月)

チェンバロ日誌
10月22日(月)
 先週末に世界的な超一流ピアニストのリサイタルを聴きました。 彼にとっては得意でないと言われている作曲家のものをメインにしたプログラムでしたが、 それにしても様子が変なのです。 一拍多く弾いたり、一小節まるまる抜かしたり、ほぼ一小節暗譜が飛んでグチャグチャになったり、 完璧な技巧と完全主義で知られる彼には考えられない演奏です。 彼自身も「これではいけない」と必死で戦っているようで、 その真剣さには胸を打たれましたが、 音楽の本質的感動とは別種のそのような感動を与えたいわけでないのは彼自身が一番承知していることでしょう。 地方公演だからと手を抜いているのではないのは明らかです。 最後にアンコールを一曲弾き終わった後は本当にやつれ果てて見えました。
 急に熱が出たとかの偶発的な原因ならばいいのですが、 もしも、彼ほどのピアニストに対して練習や体調の管理も十分にできないほどの過密スケジュールを組ませているのだとしたら、 世界のクラシック音楽愛好者たちは彼ほどのピアニストすらも満足に支えられないのでしょうか。 または彼ほどのピアニストをも搾取する陰のシステムができあがっていたりするのでしょうか。
 この演奏に、人はどのような評価を下すのでしょうか。 批評家は「もはや彼の演奏に過去の輝きは無くなった」などと冷たく突き放すのでしょうか。 終演後の客席の雰囲気は沈んでいて、 「ロビーにてCDを販売いたしております」のアナウンスがむなしく響いていましたが、 果たして彼だけの責任なのだろうか?と割り切れない思いです。
 演奏を生業としている自分を弁護するようですが、 人間ですから不調なときもありますし、 新境地への挑戦が敵わずに準備が間に合わなかったという見込み違いも起こります。 そんなときに、いつも聴きに来て下さるお客様は「また今度を期待しているので頑張って」と励まして下さって、 本当に救われる思いですが、 全く見知らぬ町をマネジメント会社にあちらこちら連れ回されるままに演奏する立場だったら、 演奏者と何のかかわりも感じない一過性のお客様にはそういう救いは期待できないのでしょう。 ほとんど新潟県内でしか演奏していない私ですが、 演奏家の孤独という面ではむしろ幸せな立場にいるのかもしれないと思いました。
 この日のただ一つのアンコールはショパンの嬰ハ短調のワルツでした。 ショパン演奏に抜きん出る彼のこのワルツは最高でした。 ワルツといえば、19世紀の栄えある社交界の中でも最も華やかな舞踏会の花形ですが、 「本当はこんな虚飾に何の意味も無いのだ」と分かりながら踊らざるを得ない踊り手の空しさがはっきりと伝わってきました。 そしてこれは自分の一見優美な表面しか理解されなかったショパン自身の空しさでもあるのですが、 この演奏者自身も「世界的な超一流ピアニスト」と呼ばれる境遇を虚飾と感じ、 空しさをぶつけているのではないかと思わせるほど真に迫る演奏でした。 私自身はこの日の演奏会はこのアンコールが聴けただけでも大きな収穫でした。
10月28日(日)
 9年間過ごした思い出の栃尾で演奏してきました。 中学校の合唱祭の中にPTA主催のコンサートを入れてくださったのです。 ヴァイオリンがご専門の先生がいらっしゃるというので、 ヘンデルのソナタの共演もプログラムに入れました。 そして今日になって分かったのですが、 校長先生も声楽がご専門とお聞きしたので、 午前中のリハーサルのときに即席のアンサンブルでヘンデルのアリアを楽しんでしまいました。
 演奏にはその人のすべてが表れ、 音楽をする者どうしはそれを敏感に感じることができるので、 言葉での自己紹介やお喋りなどが無くても一緒に音楽を奏でてみれば全部分かり合える気がします。 そして出会ったばかりでも、ずっと前から知り合いだったような不思議な感じになるのです。
10月31日(水)
 作曲しました。 秋の演奏会のアンコール用です。 本当は今週末も関係者限定の場で演奏の仕事があるので、 こんなことをしている場合ではないのですが、 ひらめいたときにすぐ書き留めて推敲してしまわないと、 期限が迫ってから焦ってもろくなものができないのは経験済みです。


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