チェンバロ奏者 八百板正己 のホームページ

チェンバロ日誌(2009年11月)

チェンバロ日誌
11月5日(木)
 書きたいことがあるときに限ってめっちゃくちゃ忙しく、 時間ができると「今更こんなこと書くのもなあ」ということを繰り返すうちに、 ついに2ヶ月以上も間が空いてしまいました。
 さて、昨日今日と続けて学校で演奏してきました。 音楽は単なる耳の慰みではなく、ましてテクニックの自慢なんかではなく、 言葉を介さずに心から心へ伝わるメッセージなんだということを分かってもらおうと工夫しました。 私がチェンバロの存在を知った小学生時代、18歳でのチェンバロとの出会い、会社勤めの行き詰まり、 そしてチェンバロ奏者としての今に至る節目節目の私の心を表す曲を選んで物語に仕立てました。 作曲家名も曲名も曲目解説もなしです(子供に言っても意味がないですから)。 そして演奏の最後にメッセージを伝えました。 「子供のときに抱いた大きな夢は、 成長するにつれて大人たちから無謀だとか無理に決まってるとか言われて諦めてしまうものだが、 私のように30歳で人生をやり直すことだってできるのだから決して夢を捨ててはいけない。」 「夢を諦めてつまらない人生を送ってしまっても、 その夢を否定した大人たちは責任を取ってはくれない。」 「特に親は心配のあまりお前には無理だといって反対するが、 希望に燃えて輝いているわが子の目を見ればいつかは納得するし、 それが最終的には一番の親孝行になる。」
 学校でも家庭でも、あまりに安易に「いっしょうけんめい勉強して、 いい高校に入り、いい大学に入り、給料の高い安定した仕事に就きなさい。」と言われ続けています。 これはこの言葉どおりに順調に走り続けることのできる少数の子供に対しては「楽な」指導方針ですが、 ひとたび脱落した子供に対しては害でしかない代物です。 そしてほとんどの子供が高い確率でいつかは脱落します。 小学生や中学生で「自分はどうせ生きる価値のない負け組だ」と人生を諦めているなんて、 あまりに悲しすぎます。 それどころか、この言葉を信じて実行し続けて給料の高い安定した仕事に就いたって、 今度は退職までの長い長い出世競争が待っているわけです。 そしてほとんどの人がやっぱり高い確率でいつかは脱落します。 その後に待っているのは「わが子にはこの挫折感を味わわせないように、 もっともっと勉強させよう」という悪循環です。 たった一度しかない人生、大切に生きましょう。 早い時期に気付くに越したことはありませんが、 いつからだって手遅れということはありません。
11月18日(水)
 先日(15日)の演奏会は本当に幸せでした。 まずはものすごく豊かな残響!! この会場は昨年の6月にチェンバロとオルガンのソロで使っていましたが、 合唱とオルガンと管楽器と弦楽器がフォルテで歌いきった後の残響は背中がゾクゾクするほどです。 大きな残響が5秒も続き、お客様もその残響を聴いているので、 休符のたびに聴き入って容易に先に進めず、微妙にフェルマータが付いてしまいます。 自分がチェンバロを弾きながら指揮をしてこんな音を出す経験ができるとは、 数年前の私には考えられないことでした。
 そしてお客様の反応!! 演奏中も私はお客様の集中力を背中に感じながら指揮をしていましたが、 終演後の客席では出演者に感激を伝えながら涙ぐむお客様の姿があちこちに。 「感心する演奏会」はいくらでもありますが、 「感動する演奏会」はなかなかあるものではありません。 もちろん人の感じ方はそれぞれですから、 今回もあまり良く思われなかったお客様もいらっしゃるはずです。 (私たち出演者も「あそこで失敗した」「あそこでやりたいことができなかった」 と反省してばかりです。) ですが、複数のお客様が感動で涙ぐんで下さる演奏会を企画、指導、指揮した今回の経験は、 きっと今後の私のすべての活動の糧となることでしょう。
11月19日(木)
 今日は2ヶ月ぶりの毎月定例「チェンバロ演奏とお話の会」でした(先月は台風の直撃で急きょ中止)。 秋口にきれいなチラシを作り直してたくさん配った効果が早速出て、 今日は半年以上ぶりの盛況でした。 せっかくの演奏をたくさんの人に聴いていただきたいですから、 やっぱりこういう努力は大切ですね。
11月29日(日)
 今日は日帰りで長野県中野市にある教会までチェンバロを運んで演奏してきました。 広ーい新潟県から出るにはどちらへ進んでもかなり時間がかかってしまうのですが、 今日の目的地は長野県でもいちばん新潟寄りでしたので、 家から片道正味3時間弱で行けました。 (もちろん、行きは高速道路の閉鎖などの不測の事態に備えてかなり早めに家を出ましたが。)
 お客様は教会の信者の方々のほかに音楽の好きな地域の方で50人ほどのちょうどよい規模でした。 おそらく皆様チェンバロを目の前で聴くのは初めてと思われますが、 この真剣な集中力は何なのでしょう? チェンバロが活躍した昔は宗教がしっかりと生活に根ざしていましたから、 礼拝のために作られたのではないチェンバロ曲もその根底にはキリスト教的世界観が深く流れています。 私はいつもコンサートでは「少しでも鑑賞の助けになれば」とそういったトークもしますが、 今日は特にそうした話題を真剣に受け止めてくださった感触があります。 普段のコンサートで「どうして宗教がらみの話題になるとお客様の反応が悪いんだろう?」 と歯がゆく感じることも少なくなかったのですが、 どうやらキリスト教の信者でもない私がいつのまにか、 音楽に関してはキリスト教的に考えることが当たり前のようになってしまっていたみたいです。


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