チェンバロ奏者 八百板正己 のホームページ

チェンバロ日誌(2010年3月)

チェンバロ日誌
3月2日(火)
 今日はお煎餅の話です。 私がスタジオで練習などの合間に一人で食べるおやつは、 実はけっこうお煎餅であることが多いです。 西洋音楽に人生を捧げたといっても、 音楽家である以前に日本人、 それも新潟県人ですから(新潟県の米菓生産高は日本一だそうです)。 先日、県内のあるメーカーの製品で「国産米100%」と大書してあるものを買いました。 日本もようやく消費者が自国の農産物を大切にする先進国の仲間入りをしたか、 と嬉しくなった反面、 ではそのことを謳っていない他のすべての米菓には外米が混ざっている、 あるいは外米だけでできているのか??? うかつでしたね。 今までお煎餅をせっせと購入してきたのに、 日本の稲作農家を応援することには全くなっていなかったのだとすれば。 この場合、他社との差別化を打ち出すことが、 間接的に自社の残りの製品をもけなすことになるのですから、 このメーカーの決断は思い切ったことですね。 いずれは自社のすべての製品を国産米100%で作ろうという展望があってのことなのでしょう。 これからも頑張ってほしいと思います。
 この「間接的に自社の残りの製品をけなす」ことを、 私は自分が主催するコンサートの宣伝でやってしまいました。 「今回は楽器を2台も使って多彩な内容です」と宣伝してしまうと、 それ以降「では1台のときは単調な内容なのだろう。今回は行くのをやめようか。」 と敬遠されてしまうのです。 1台しか使わないのは手間を省くためではなくて、 一つの時代の音楽をじっくりと味わっていただきたいからなのですが。 また「今回は共演者が2人もいて華やかです」と宣伝してしまうと、 それ以降「ではチェンバロ独奏や共演者が1人のときは地味で退屈なのだろう。今回は行くのをやめようか。」 と敬遠されてしまうのです。 チェンバロ独奏や共演者が1人なのは経費を省くためではなくて、 それぞれの楽器が持つ表現の可能性をより深く堪能していただきたいからなのですが。 宣伝の言葉はよくよく吟味しなければいけませんね。
3月18日(木)
 今日は毎月一回の「チェンバロ演奏とお話の会」でした。 会場には会期中の金属工芸の展示作品が並べられていて、 不思議にチェンバロの音と調和します。 「そうか、チェンバロは金属の弦をはじく楽器だったな」 とあらためて認識しました。
 演奏が終わってからはいつもどおり茶菓と談笑の時間です。 女性のお客様の大半は宝飾品がメインである展示作品のまわりでもっぱらお話が弾んでいるようで、 喫茶コーナーではバッハが何より大好きという男性のお客様数名を中心に、会場のオーナーも私も一緒にバッハの話題が続きました。 なかなか見られない風景だと思いませんか? こういうのを「地に足の付いた音楽文化」というのでしょう。
3月24日(水)
 19日から22日まで、訳あってスタジオに行かずにずっと家で子守をしていました。 その結果、夜にみる夢といえばチェンバロを弾く夢ばかり。 そのうちに「教科書を持たずに学校に行く夢」や 「宿題を全然やってないのに授業が始まってしまう夢」や 「電車が発車しそうなのに券売機の使い方が分からなくて切符が買えない夢」といった、 練習がはかどらないとき特有の夢が現れるにいたって私の禁断症状も限界! で昨日は喜び勇んでスタジオに行けるはずが、急に風邪でダウン。 何もしないで寝ていました。 そして今日、いろいろ雑多な用事を済ませて現在夜の7時ですが、 さあいよいよチェンバロとの対面です。 本当はもうひとつ用事を済ませてからと思っていましたが、もう我慢できません。 関係方面の方々、ごめんなさい。


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