チェンバロ奏者 八百板正己 のホームページ

チェンバロ日誌(2010年11月)

チェンバロ日誌
11月6日(土)
 おっと、またまた一ヶ月空いてしまった。忙しい人の練習方法の続きです。
 9月29日の日誌に書いたように毎日の練習で一回も間違わないということは、 ある一曲についていえば初めて楽譜を開いて片手ずつ指使いを考える段階からコンサートの本番まで、 やっぱり一回も間違わないことを意味します。 もちろんこれは目標であってなかなか実現できるものではありませんが、 いい加減な気持ちで楽器に向かうことがなくなる意味も大きいと思います。
 ところで、大切なことを書き忘れていました。 これまでの話をチェンバロ教室の生徒さんにも知らせたところ、 「それでは練習というのはとても忍耐を要するものなのですね。 楽しく気持ちよくやっていてはいけないのですね。」 との言葉が返ってきました。 逆です。楽しく気持ちよく練習したときにしか小脳は効率よく覚えてくれないのです。 一見忍耐を要するかに思える練習方法を楽しく気持ちよくする必要があるのですから、 いくつか工夫が要ります。
 まず、練習を始めるときはお茶とお菓子でも用意して、 「さあ、これから楽しい練習が始まります。」と暗示をかけましょう。 でも暗示だけで楽しくなるほど音楽は甘くないので、ここからが肝要。 「バッハやクープランなどの天才が推敲に推敲を重ねて残した音楽なのだから、 どんな細部にも美が宿っているのだ」と認識することです。 1小節とか2小節とかの短い範囲を片手ずつから練習しているときこそ、 最小の細部に宿る美に意識を集中できるチャンスと思って、 大切に大切に練習しましょう。 そして細部の美をきちんと表現する歌い回しまで含めて小脳に記憶させていくのです。 実際本番の演奏では両手だしテンポも速いし、 次から次へと押し寄せてくる細部の美をその場で大脳が処理する余裕はありません。
 ついでに言うと、 そのように細部をゆっくり練習しているときは、 自分の手の形や演奏の姿勢にも気を配る余裕が生まれます。 合理的で無駄のない動きには美が宿るものです。 どんな楽器でも一流の演奏家の演奏中の映像を見ると、 音を消してもその映像だけで惚れ惚れしてしまいます。 ですから練習ではすべての瞬間の手の形まで含めて小脳に記憶させていくのです。 実際本番の演奏では両手だしテンポも速いし、 次から次へと押し寄せてくる音符をすべて美しい手の形で弾けているか、 その場で大脳が気を配っている余裕はありません。
11月23日(火)
 おとといは私にとっての3回目の朝日酒造エントランスホールでの演奏会。 会場の都合で初めて夜の開催でしたが、 ここでもやっぱり私の仮説が裏付けられました。 その仮説とは「人間は夜になると聴覚が敏感になる」というもの。 今までも、同じ会場での演奏会なのに昼と夜とでは響き方が全く違うことに気がついていて、 一言でいえば夜のほうが楽器の音がずっと大きく澄んで聞こえたので、 これはどんな場合にも起こる人間の耳の特性なのだろうと仮説を立てていました。 今回もその通り、ヨーロッパの大教会にも匹敵する天井の高い空間に、 チェンバロ一台だけの音では拡散してしまうのではという心配は無用になり、 演奏が進んで外が暗くなるにつれてチェンバロはかつてなく豊かに響いたのです。
 人類がかつて大自然の中で狩猟をして生きていた何万年もの間、 夜になると音だけを頼りにオオカミなどの襲来を察しなければならなかった生活を続けるうちに、 夜になると聴覚が敏感になるよう進化したのでしょう。 夜の聴覚といえば、母親は子供の寝息が少し荒くなっただけでも(病気の前兆)パッと目を覚ますという、 素晴らしい能力を持っていますね(私は全然気がつかないで朝まで寝とおしていますが・・・)。 その代わり、父親は窓の外で木の枝が折れる音がしたり(獣の襲来の可能性)、 風の音が強まったり(嵐の前兆)するだけでもパッと目を覚ます、 ということを聞いたことがあります。 人間の能力は不思議に満ちています。


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