チェンバロ奏者 八百板正己 のホームページ

チェンバロ日誌(2012年1月)

チェンバロ日誌
1月5日(木)
 あけましておめでとうございます。 このホームページの開設から12年が経ちます。 皆様のご支援に心から感謝申し上げます。 今年もどうぞよろしくお願いいたします。
 さて、今回はひとつ嬉しいことがあったのでお話ししましょう。 先月末の「カーブドッチ・クリスマスコンサート」のときのことです。 久しぶりに家内が私のコンサートに同行して演奏を聴いてくれました。 家内いわく「隅々にまで『こう弾きたい』という意思が行き届いていて、 眠いところがなかった」というのです。 家内は人の演奏を聴いて奏者の心を読む能力が抜群なので、 今までは「あの曲のあの部分では何も考えないで手が勝手に動いていただけでしょ? 何も訴えてこなくてすごく眠かったから」といった具合に、 私の集中力が散漫になったところは全部見抜かれていました。 それが今回は無かったというのですから嬉しいことです。
 でも、本当を言うとコンサートのすべての曲で「こう弾きたい」という意思を通せたわけではないのです。 コンサートの本番というのはいつものことながら予期しないことが次々に起こるもので、 内心ハラハラ、ドキドキしながら何とか破綻なく演奏をまとめることで精一杯という曲もいくつもありました。 それなのに「隅々にまで『こう弾きたい』という意思が行き届いていた」と思わせることができたのはなぜだろう? と考えてみました。
 思い至ったのは私の練習方法の変化でした。 2010年9月29日の日誌2010年11月6日の日誌に書いた練習方法が身に付いてきたのでしょう。 内心ハラハラ、ドキドキしながら弾いた指の動きが、 じゅうぶん心を込めて練習していたときと同じ動きだったというわけです! とにかく短い範囲をゆっくりゆっくり、繰り返し繰り返し練習することに徹していましたから、 じゅうぶん心を込めて弾いたとき以外の動きを指が経験したことがないのです。
 この練習方法はハラハラ、ドキドキしなかった所についてもいい結果を生みました。 それまでのように曲全体を通してばかり練習したり、 曲全体でなくても十数小節といった長い単位でばかり練習していた頃には、 技術的に易しい部分や曲想が穏やかになる部分などでどうしても頭が休憩する傾向にありました。 それが、今は1小節とか数小節とかの練習を積み上げていきますから、 どんな細部に宿る美も見逃したくないという気持ちが働きます。 そしてそれは無理に探そうとしなくても、 短い範囲をゆっくり繰り返し練習していると「この細部はこのように美しいですよ」と音楽の方から教えてくれるのです。
 家内に演奏を褒められたのも嬉しいですが、 演奏家としての基礎力が向上したことに気付いて、 未来がもっと開けてきそうな予感に嬉しくなりました。


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