チェンバロ奏者 八百板正己 のホームページ
所有楽器
| 1台目の楽器 |
(このページは2000.03.12に作成し、2001.01.10に一部補足しました。)
| モデル | 初期フランドル様式1段鍵盤(1640年 A.ルッカース) |
| 製作 | 東京古典楽器センター 1985年 |
| 寸法 | 長さ1840mm、幅815mm、本体厚さ275mm |
| レジスター | 8'+8'、バフストップ |
| 音域 | HH〜d3、52鍵 |
| ピッチ | a=415/440 可変 |
フランドルとは現在のベルギー西部からフランス北端にまたがる地方を指します。
そのフランドルで代々素晴らしいチェンバロを製作したルッカース一族の一人であるアンドレアス・ルッカースが
1640年(バロックの初期から中期にかけての頃)に製作した歴史的名器をモデルにして複製した楽器です。
ただし装飾は予算の都合でだいぶ省略しました。
チェンバロには鍵盤が2段になっているものもありますが、これは1段鍵盤です。
一口にチェンバロと言っても大小さまざまなタイプがありますが、これは割合小型の楽器といえるでしょう。
長さが1間少しですので足を外してワンボックスの軽自動車の荷台に収まりますし、
軽乗用車の助手席を倒して運搬したこともあります。
チェンバロは音域がそれほど広くないので思ったより幅が狭く、ピアノの半分ほどです。
チェンバロには通常1つの鍵盤に対して複数の弦が張ってあります。
8'+8'というのは、8フィートと呼ばれる通常の音の高さの弦が2組あるという意味で、
1オクターブ高い音の弦は4'、逆にオクターブ低い音の弦は16'と表示します。
2組の弦は音色が異なり、それぞれ単独で弾くこともできますし、2組を同時に鳴らすこともできます。
バフストップとは、弦の端に振動減衰のための革や布などを押し付けることによってハープのような丸い音を出せるようにする仕組みです。
バフストップも含めれば、このチェンバロは都合4種類の音色を選べることになります。
チェンバロの音域は狭いもので4オクターブ弱、最も広いものでは5オクターヴと2音で、
概ね時代が下るにつれて音域が拡大していったようです。
いずれもピアノの7オクターブと3音に比べればずっと狭いですが、
チェンバロは倍音が非常に豊かなので当時の音楽家はそれ以上音域を広げようという必要を感じなかったのでしょう。
このチェンバロは4オクターブと3音で、バロック後期の作品を弾こうとすると鍵盤が足りない場合が出てきます。
バロック時代にはさまざまなピッチが使われていました。
最も一般的であったとされるのが現在よりも約半音低いa=415(ラの音が415ヘルツの高さ)です。
このままだと現代のフルートなどとアンサンブルしようと思ったときにすべての弦を半音高く調律し直さなければなりませんが、
そのようなことをすると楽器の音色も大きく変わりますし、調律が安定するのに1週間はかかります。
そこで、鍵盤ユニットごと弦1本分スライドできる機構を組み込むことでその問題に対応できるようになっています。
実は私の楽器は購入時の仕様打ち合わせのときにわずかの金額を節約したためにこの機構が組み込まれていませんでした。
当初は自分一人で楽しみのために弾いていたので問題なかったのですが、チェンバロ演奏を職業にするようになってからは何かと不都合が出てきましたので、
思い切って自分で鍵盤ユニットの端を鋸で切り落として使っています。
中学3年のときに親と交わした約束通り、私は大学合格祝いにチェンバロを買ってもらうことになりました。 1986年の3月のことです。
どこで買えるのかも知りませんでしたが、とりあえず音楽雑誌の広告で見た1件の楽器屋さんに親と出かけました。 そこには1段鍵盤の楽器と2段鍵盤の楽器がありましたが、予算100万円以内という条件で買えるのは1段の方です。 いろいろ説明を受けて、「とりあえず弾いてみてください」と言われた私は、ヘンデルの「調子のよい鍛冶屋」を弾き始めました。
その時の感動といったら!中学のとき以来何度も何度も夢にまで見た本物のチェンバロを今自分が弾いているという事実は、
それだけで頭の中が真っ白になるほどの衝撃でした。
誇張ではなく本当です。
特にその「何度も何度も見た夢」というのがどれもこれも、憧れのチェンバロの前に座っていざ弾いてみるとピアノの音がするとか、
弾こうと思っても鍵盤が動かなくて音が出ないとか、弾こうと思ったとたんに夢から覚めるとか、
そんな内容ばかりだったので、ちゃんと本物のチェンバロの音が出ているというだけでも興奮しました。
そして、「調子のよい鍛冶屋」では各変奏の最後に低いシの音(HH)が出てくるのですが、
その音がひときわ存在感たっぷりに「ぶーん」と鳴るのです。
「そうか、ヘンデルはこのために最低音をやたらと使わずに大切に取っておいたのか」
と、とても大きな発見をしたようで有頂天でした。
さらに、何といってもピアノと比べて鍵盤が軽く、どんな装飾音も苦もなく弾けます。
それまで何年間もピアノで大変な努力でトリルの練習をしてきたのは何だったのだろうかと思いました。
唯一気になったのが音域で、これでは弾ける曲がとても限られるのではと思いましたが、 その時初めて「ショートオクターブ」なるものを教えられました。 これは、当時は最低音域で♯ドや♯レを使うことが滅多にないことを利用して、 これらの鍵盤をもっと低いラやシに調律することで広い音域をカバーするという、 バロック時代に実際に使われていた方法です。 ピアノでは全く考えもしなかったようなことで、これもとても衝撃的でした。
このような精神状態でしたので、「もっと他にチェンバロを扱っている店はあるだろうか」 などという考えは全く浮かびませんでした。 一刻も早くこの楽器を手に入れたいという思いで契約しました。 幸い同じモデルの楽器でキャンセルになったものが在庫してあったので、 私は来店から1ヶ月足らずで憧れのチェンバロを手に入れることができました。 記念すべき1986年の4月のことです。
憧れのチェンバロを手に入れてからは毎日毎日弾きまくったことは言うまでもありませんが、
やがて私一人の趣味を超えてあちらこちらからお呼びがかかるようになってきました。
地域の弦楽器愛好家を中心とした合奏団に加わっていた頃には、
年に2回ほどの演奏会の前にもなればそれこそ毎週のようにこのチェンバロを練習会場まで運びましたし、
その他にも小学校の音楽鑑賞会で演奏したり他の団体に臨時でチェンバロ奏者として呼ばれたり、
そのたびにどこかぶつけるので傷だらけです。
新潟県内にはこの楽器よりずっと大きい2段チェンバロをお持ちの方が何人もいて、 私としては少々引け目を感じずにはいられませんでしたが、 私のこの小さな楽器で初めてチェンバロの生の音に接した多くの方々は一様に「美しい音だ」 と喜んでくださいました。 この「自分がチェンバロを持ち運んで演奏することで喜んでくれる人がいる」ということが、 やがて会社を辞めてこの道に進もうとする大きな原動力となったのでした。
会社を辞めてから2年間、修行中の身とはいえ、いろいろな所にこの楽器を運んで演奏しました。 その間には甲府で行われた古楽コンクールのチェンバロ部門にも出場し、 チェンバロ演奏を職業としてゆくのにこの小さな楽器だけではどうしても無理があることも実感しました。
チェンバロに関しては、大きな楽器は小さな楽器を兼ねません。
大きな楽器は音域も広いし、鍵盤も2段あるし、一見どんな曲も弾けそうに思えますが、
大きな楽器と小さな楽器では音の性格が全く異なるのです。
まず、大きな楽器は弦も長めなので音が長く持続しますし、小さな楽器の音は早く消えます。
初期のチェンバロ音楽は前提としているのが当時の小さな楽器だったので、
音が早く消えてこそ最高に美しく鳴るように作曲されています。
それから、小さな楽器は響く部分の大きさが狭い分だけ音の立ち上がりが明瞭なのに対して、
大きな楽器は爪が弦をはじいてから楽器全体が鳴り出すまでにわずかな時差が感じられます。
これらのことは私がチェンバロとの出会い以来14年間小さな楽器だけを弾き続けたことによってはっきりと認識することができました。
コンクールでの経験を契機に新たに大型の2段チェンバロを購入することになりましたが、 今までの小さな楽器は初期のチェンバロ音楽専用に使うことにして当分手放したりはしません。 これを手放すことがあるとすれば同じタイプのもっと優れた楽器に買い換える時でしょうが、 少なくともそれまでの間は今までと同様に活躍してもらいます。
(2001.01.10補足)
14年間弾き続けてきたこの楽器も、3台目の楽器「ヴァージナル」を購入する資金と引換えについに手放す時が来ました。 久保田彰氏の仲介で、東京の楽器屋さんがチェンバロ教室のレッスン用楽器として買って下さいました。 仮に手持ちの資金が豊富にあったとしても、 2段チェンバロとヴァージナルを持っている状況ではこの楽器を演奏会で使う場面はほとんど無さそうですので、 その場合でもきっと誰か希望する人に貸すなり譲るなりしていたと思います。 楽器は常に弾いていないと良い音が出ませんし、 弾かれない楽器ほどかわいそうなものはありません。
私がこの楽器を手放すことは私の活動がこの楽器の能力を超えてしまったことを意味していますが、 それでも私をここまで育ててくれたのですから、 これからは東京の楽器屋さんで多くのチェンバロ愛好家を育てていってほしいものです。
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