チェンバロ奏者 八百板正己 のホームページ

レポート,雑記

楽譜についての考え方


全集をそろえる

 ある作曲家の鍵盤作品全集を手に入れるということは、私にとってこの上なく胸がときめく一大イベントです。
 まず目次を見ます。
「ほう、彼は組曲を19も書いているのか。序曲もある。シャコンヌもある。よしよし、これは楽しみだ。」
そして1曲ずつめくっていきます。 さわりの部分を頭の中で鳴らしてみて「これはすごい!」と思う曲は早速チェンバロに向かって弾いてみます。 思った以上にすごい曲である場合も、案外大したことがない場合もありますが、 こうして夜がふけるのも忘れて弾きあさります。そういう日は布団に入っても
「あの曲とこの曲を使ってすてきなプログラムができそうだ。次のコンサートのタイトルは・・・」
などと考え始めてしまうのでなかなか寝付けません。

 幼いときは昆虫採集、その次はプラモデル集め、大学に入ってからは自作の天体望遠鏡で星雲・星団を片っ端からスケッチ・・・。 元来ものを集め出すと徹底するのが私の性格、と言われてしまえばそれまでかもしれませんが、 全集楽譜をそろえる事にはとても大きな効用があります。

 まず、作品解釈の手がかりが得られます。
 ここに少々悲しいと感じる曲があるとしましょう。 この「少々悲しい」と私が感じた曲が、本当に作曲家も悲しいつもりで書いたのか、 それとも若輩者である私のとんでもない思い違いなのか、不安に襲われることがしばしばです。
 そんなとき、その作曲家の残した鍵盤作品をとりあえず一通り眺めてみると、 「この作曲家の場合こういう和声はよく出てくるし、特別悲しい感情を表そうというのでもなさそうだ」 などという傾向をつかむことができて、とりあえず自力で疑問に答えることで少々の自信を得て本番に臨むことができます。 この「自力で疑問に答える」ということが大切で、「レッスンで師匠がこうおっしゃったから」とか 「名演奏家のCDでこう弾いているから」では本番でお客様に訴えかける説得力が得られません。

 さらに、今の自分にぴったりの曲が見つかります。
 チェンバロ曲ではまだ「名曲」なるものが固定化されていないので助かりますが、 それでもCDになっている曲、演奏会でよく弾かれる曲、「何々選集」などに選ばれる曲はどうしても偏りがちです。
 ところが先入観無しに全集を手にしてみると、案外「名曲」とされている曲の次の曲が一番自分にぴったりだったりすることもありますし、 逆に数多くの平凡な作品と弾き比べた結果「確かに名曲だ」と確信を持つこともあります。
 いずれにしても、今の自分が最も感情移入できる曲を自分で探し出すこと、これが本番での自信と説得力をもたらしてくれるのです。

 それから、これは選曲する者の心構えの問題ですが、例えば演奏会終了後にお客様から
「彼は多くのトッカータを作っていますが、今日のプログラムでこのトッカータを選んだのはなぜですか?」
と尋ねられて、
「いやあ、じつは彼のトッカータはこの1曲しか知らなくて・・・」
とは答えたくありませんよね。
 演奏でベストを尽くすのはもちろん、全集をそろえて選曲でもベストを尽くしたいものです。


原典版を使う

 はじめに、「原典版って何?」という方のために少し説明いたしましょう。
 チェンバロが活躍したバロック時代はチェンバロを弾くのがほとんど職業音楽家に限られていたということもあって、 楽譜には大まかな骨組みしか記入されておらず細かなニュアンスや装飾や指使いなどは演奏者の判断に任せられていました。 そこで、後世になってバロック時代の音楽をピアノで演奏するために楽譜を出版する場合には、 アマチュアの愛好家でもすぐに弾けるように元々の楽譜には書いていないいろいろなことを書き加えることが一般的になりました。 このような楽譜を「校訂楽譜」といい、特に「原典版」と断っていない楽譜はほとんどすべてこれだと思ってよいでしょう。
 それに対して「原典版」は作曲家の意図を忠実に伝えることを最優先にした楽譜といえます。 作曲家の生前に出版されていた曲でもミスもあるだろうからと、自筆譜を丹念に調査するなどの多大な労力をかけて作られます。 日本国内の状況で言えば、校訂楽譜はたくさん売れるので日本の出版社からも出ていて安いですが、 原典版は労力がかかる割にあまり売れないので外国から輸入せざるを得ないことも多く高価です。

 さて、問題はチェンバロで演奏する場合にこの校訂楽譜を使うとどうなるかです。
 第1に、チェンバロでは演奏不能であるクレシェンド(だんだん大きく)、 ディミヌエンド(だんだん小さく)などの強弱記号が目障りですし、その発想が多分に19世紀的です。 「バロックだったらたとえ強弱の付けられる楽器を使ってもここは一定にするだろう」 という所でもやたらに強弱の変化を付けたがる傾向があります。
 第2に、速度記号や発想記号など、曲の解釈に関わる重要な事柄が勝手に付け加えられていて、 且つそれがピアノの発想、19世紀的発想で書かれていることが多いです。
 第3に、指使いがピアノ用で、チェンバロ用には全面的に書き換えなければなりません。
 これらを承知の上で校訂楽譜を使ってチェンバロを演奏しようとしたとき、 果たしてどこまでが作曲家の意志でどこからが校訂者の追加なのか区別がつかないことが問題になります。 時にはピアノ的発想に従って音符まで書き換えられている場合すらあるのですから。

 そこで、バロック音楽をチェンバロで演奏しようと思ったら思い切って原典版を手に入れることになります。 原典版を読みこなすには当時の職業音楽家と同レベルの知識やセンスが必要となるので初めはなかなか大変です。 しかしそれを克服すれば楽譜を通して数百年前の作曲家と直接向かい合うことができるのです。 その楽譜が許しうるすべての解釈の選択肢が演奏者に与えられるということは、 確かに重荷ではありますが同時に非常に創造的で素晴らしいことです。

 ちなみに、私はチェンバロ演奏を職業とした時点で、持っていた校訂楽譜をすべて原典版に買い替えました。


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