チェンバロ奏者 八百板正己 のホームページ
新潟バッハ管弦楽団&合唱団の理念 |
団体で音楽活動を進めていくにあたって、
気をつけなければいけない大きな落とし穴があることに気が付きました。
それは、
「公演を成功させるために団員の力を使う」
というものです。
これを活動理念のトップに掲げると、
次から次へと危険な思想が頭をもたげてきます。
つまり、
「公演の曲目に必要な演奏能力を持たない団員は使い物にならない」・・・そんな考えは困ります。
「今回の曲目の編成にない楽器奏者は必要ない」・・・そんな考えは困ります。
「特定のパートに多くの団員が集中するのは困る」・・・そんな考えは困ります。
「必要なパートは高額な謝礼を払って調達してでも全て揃えなくてはならない」・・・そんな考えは困ります。
「聴き栄えのする演奏のためには独奏や独唱は高額な謝礼を払ってでも東京から招聘すべき」・・・そんな考えは困ります。
「客席を埋めるためには聴衆受けのする曲を選ぶ必要がある」・・・そんな考えは困ります。
「客席を埋めるために団員へのチケット販売ノルマは必須」・・・そんな考えは困ります。
そこで、これらの危険な思想を一掃できるコンセプトがあることに思い至りました。
それは、
「団員の喜びのために公演を利用する」
というものです。
この一言で、上記の危険思想はすべて消え失せます。
まだ易しい音符しか弾けないのなら、易しい音符だけ弾けばいいのです。 そもそも、バッハの時代の大編成の音楽は、 書かれた音符を必ずしも全員が通して演奏したわけではないことが近年の研究で明らかになってきました。 技巧的な合唱フーガの部分は少人数のソリスト集団だけが演奏するなど、 強弱のコントラスト(コントラストはバロック芸術の重要な理念でした)を鮮やかに強調させていたというのです。 今の時点での演奏能力は問題ではありません。 10年かけて、バッハの音楽に育ててもらいましょう。
必要な楽器奏者がいないのなら、別の楽器で代用すればいいのです。 バッハ自身がそうした代用を生涯にわたって多用し続けた証拠が残されています。 芸術に対して極めて高い理想を掲げたバッハですが、 一方で現実主義者としての顔も併せ持っていました。 せっかくの傑作も、演奏されないことには意味が無いと考えたのですね。
公演のチケットは無理に売らなくてもいいのです。 集客のために夢を犠牲にすることなく、 私たち自身が演奏したいと思う曲を演奏しましょう。 そして「上手に演奏できるだろうか?」と他人の評価を気にするのではなく、 熱いハートであなたにしかできない表現を追及しましょう。
「練習や公演に参加できないと迷惑でしょうか?」 とのお問合せをよく頂くのですが、そんなことは全くありません。 以下に、よくあるケースごとにお答えします。
♪
はい、できます!
「バッハを演奏したい」との想いさえあれば道は開かれます。
練習日に都合が合わなかった人だけを集めて別に小練習を設定したり、
それもできなければ八百板正己が個人的にお相手できます。
♪
はい、できます!
私たちが考える練習とは、単なる公演のための準備ではなく、
それ自体が有意義なバッハ体験となるものです。
練習だからこそ感動的な場面を何度も繰り返し体験できたり、
同じ旋律を奏でる歌と楽器が輪になって互いの音を聴きあったりできて、
そうした積み重ねが私たちをバッハ芸術の高みへと一歩一歩導いてくれるのです。
♪
はい、あります!
この活動は10年続けます。
どんな人でも10年の間にはきっと生活や仕事の状況は変わることでしょう。
ふと時間が取れて「さあバッハを!」と思ったときにスムーズに活動に加われたら嬉しいですよね。
それまでの間に、楽譜と一緒に団員にお送りする解説資料「新潟バッハ通信」で知識を得たり、
普段は自習しながら時々八百板正己と個人的に合わせたり、
都合が合った時だけでも練習に顔を出したりしてレベルアップできます。
同じような目的のために「新潟バッハ・サポーター会員」の制度もあります。
演奏に加わることを除けば、
私たち団員が持つすべての権利と、
私たち団員に与えられるすべての情報や学びの機会を、
同じように受け取ることができます。
詳しくは新潟バッハ・サポーター会員のページをご覧下さい。
練習には、全パートが記された「総譜」を使います。 合唱の人は本番もこれを見ながら歌っていただきます。 楽器の人はさすがに演奏中の譜めくりが困難なので本番間近になったらパート譜を作りますが、 それまではこの「総譜」で部分練習に徹する考えです。
どうしてそんな楽譜を使うのかというと、例えば合唱でよく使うヴォーカルスコア。 あれは管弦楽の音符が全部ピアノ伴奏に押し込められています。 それに大抵の合唱団は練習日数の9割以上はピアノ伴奏で練習するので、 どの音がどの楽器で奏でられるかに殆ど関心を持たないまま本番を迎えることも多いのではないでしょうか? 管弦楽に至っては、自分が弾く音しか書いてないパート譜です。 譜めくりの都合上仕方が無いとはいえ、 耳だけで他のすべての楽器や歌を聞き分けながら演奏するなんて不可能ですよね。 まして対位法の大家バッハの音楽では。
私たちの団体がおそらく他と一番違っているのが 「管弦楽と合唱が一つの団体で、両者が渾然一体となった活動をする」ということでしょう。 だから、「本番前日に初めて顔を合わせる」なんていうことはありません。 総譜を見ながら練習すれば、どこにどんな感じの旋律が動いているのかが「絵」として見えますから、 「あ、今私たちの歌と一緒にヴァイオリンの何々さんとオーボエの何々さんも奏でてくれている!」 という一体感が生まれるのです。 でもこれはバッハの時代には当たり前だったことなんですね。 管弦楽の人も手が空けば合唱に回ったりなんていうことはよくあったし、逆もありました。 そもそも器楽奏者たちはみんな子供の時にはそこの聖歌隊でソプラノを歌っていたんですから、 合唱も管弦楽もみんな同じ仲間なんです。
独唱者を合唱団員から選出し、独唱者も合唱を一緒に歌うというのもバッハの時代のやり方でしたから、 私たちもそうします。 こちらは「合唱と独唱との一体感」です。 「本番当日だけ東京からやってきて、曲の一番美味しい所も拍手喝さいも高額なギャラもみんな持っていかれる」 なんていう悔しいことは、私たちには無縁です。
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